「きざし」 鈴木広孝

講評 : 土田 ヒロミ

 雑然とした日常の部分の空間を厳しくフレーミング。このような厳しいフレーミング(左)(右)は、そこに写されている意味の解読を難しくする。当然、誰もが細部を解読しようとし始める。すると途端に事物がうごめき出す。(中)がその入り口となっている。