「 戯 れ 」 矢島 一美

選評 : 関東本部委員 中村 明弘

千畳敷の岩場の亀裂を勢いよく流れ込んできた海水が、行く手を塞がれ間欠泉のように一気に吹き上がった瞬間をみごとに写しとめた。なんといってもその飛沫の描写が圧巻だ。「写真になる!」と直感、予測してギリギリまで近寄って「ものにした」撮影者の身のこなしが小気味よい。 撮影者本人によると、青森から白神山地に向かう途中の日本海沿岸で撮ったということだ。その「千畳敷」のスケールの大きさは、幅1キロメートル、岩場が100~200mも海までせり出していたという。 例会では、モノクロにしたものも見せていただいたが、確かに白黒の方がシンプルであり、迫力もあり、飛沫のボリューム感もあったように思う。しかし、作者はカラーの方を提出した。カラーの方が色を通して多くの情報が伝えられる。作者のその時の感動はこの場合、カラーでこそ伝わると考えたからだろう。特に光がいい。日本海側の午後遅くの斜光線がドラマを盛り上げた。飛沫も斜光線で表情が出た。手前の、波に削られ丸みを帯びた黒々とした岩、背景の明るい岩場も影が形をしっかりと浮かび上がらせている。雲も、空もいい・・・。 もしかしたら何千年も、あるいはそれ以上の時間、繰り返されてきた日常の「なんでもない」光景なのだ。特殊なものでなく「日常の風景」としてカラーで作品としたことの意味がそこにあるのかもしれないと撰者は考えたがいかがだろうか。 東北の地まで紅葉を撮りに行く途中で「拾った写真です」と、ご本人はにこにこしておられたが、自然が作り出す瞬間造形に反応してシャッターを切った心の「ときめき」は、少年のようなナイーブな目と心の充足感に満たされたに違いない。これもまた、写真を「やっている」人間の大きな幸せのひとつである。

「 戯 れ 」 矢島 一美