「陽春」 渡辺信孝

講評 : 大西みつぐ

 浮き立つような気持ちでみんなで行う花見もあれば、一人静かに愛でる花見もあります。いましも花見を終えた親子は穏やかそうに見えますが、実はさまざまな「現在」に直面しているでしょう。その日常を写真としてながめるこちらも共有せざるをえません。そして手前から延びる幹の影は、満開の桜に対してネガティブな関係にあるように思えてきます。比喩的な意図をもって撮られたわけではないでしょうが、写真そのものからメッセージとして読み取れるのです。